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2006-10-20

(19)十一代藩主 松平頼聰(よりとし) 懿公(いこう)

一、生い立ち

 頼聰は九代頼恕の子として江戸藩邸で生まれた。二十才で十代頼胤の養嗣子となり、二十六才で井伊直弼の娘・千代姫と婚儀、二十八才で第十一代藩主となった。

 頼聰は最後の高松藩主として、幕末から明治維新の動乱期の藩政にたずさわり苦労をしたが、東京移住後は離縁していた正室と復縁し、華族(伯爵)に列して平穏な生活を営んだ、後明治三十六年七十才で逝去。


十一代、松平頼聡 生没年:1834-1903
父:讃岐高松藩九代藩主 松平頼恕
義父:讃岐高松藩十代藩主 松平頼胤
幼名:万之助
1861- 讃岐高松藩十一代藩主
従四位上権少将
妻:井伊千代子(父:大老 井伊直弼)
徳川義礼(尾張徳川家へ)
頼壽

娘(伯爵 徳川篤敬室)
(養子)頼温(父:讃岐高松藩九代藩主 松平頼恕)
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テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

tag : 頼聰

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11代藩主 松平頼聡(1834~1903)
父: 9代藩主 松平頼恕(1798~1842)
母: 正林院 八重野(おとみ、浅田氏)
幼名: 万之助
諡号: 懿公
院号: 厚徳院
夫人: 清徳院 千代姫(弥千代)(井伊直弼女)(1846~1927)
夫人: 母追跡中
次男 義礼(晨若)(侯爵、尾張徳川家相続)(1863~1908)
八男 頼壽(伯爵、12代当主)(1874~1944)
夫人: 徳川昭子(水戸徳川昭武女)(1883~1976)
聡子(水戸徳川篤敬室)

夫人: 鍋島俊子(鍋島直大女)(1891~ ?)
長女 誠子(のち佳子)(李鍵公(のち桃山虔一)妃)(1911~2006)
長男 頼明(13代当主)
 
 正室弥千代は大老井伊直弼の次女。1860年、桜田門外の変で直弼が暗殺されると、井伊家との縁戚関係は激変する幕末情勢において不安材料となるという重臣の諫言を受け、1863年、頼聰は渋々妻を離縁した。しかし幕府が倒れてしばらくした明治5(1872)年、独身をつらぬいていたふたりは改めて婚儀を挙げたという。

松平頼聰公

最後の高松藩主11代藩主 松平頼聰(よりとし)公
 松平頼聰公は、1861年から、約11年間、
最後の高松藩主だった方です。
佐幕派として京都・摂津方面の警護の任を帯び、
1864年の禁門の変では、御所の警護も担当しました。
また、鳥羽伏見の戦いでは、薩摩・長州の軍隊=官軍に
鉄砲を打ち込みましたが、結果的には負けて、賊軍となり、
それが原因だろうと推測されますが、明治21年まで
第1次、第2次と香川県の名前はありますが、
最終的な「香川県」としての独立は、やはり明治21年です。

 結局、現場責任者である2家老
(小河(おごう)又右衛門と小夫(おぶ)兵庫)の切腹と、
多額の賠償金、
藩主は今の高松高校の北側にあります高松浄願寺での謹慎という
責任を取らされることになりました。

 このことから、天皇の正式な行幸がなく、
栗林公園が3大名園から外された大きな原因とも言われています。
従って、松平頼聰公は、高松藩の最後の藩主となりましたが、
その後、謹慎を許され、伯爵になり、東京に住まわれました。

 ところで、松平頼聰公は、当時としてはたいへん珍しく、
恋愛結婚をされています。
筆頭譜代大名である井伊直弼の次女弥(八)千代姫と恋に落ち、
恋愛結婚されました。
結婚はしたものの、その後クーデターともいうべき桜田門外の変が勃発、
父井伊直弼が暗殺され、2人は仕方なく、離婚しました。
離婚の進言は、あの松崎渋右衛門によってなされたと言われています。

 離縁から9年後の明治5(1872)年、
有栖川宮熾仁(たるひと)親王の助言で復縁しました。
明治36(1903年)年10月17日に頼聰が死去しましたが、
享年70歳でした。
 弥(八)千代姫ですが、
昭和2年に82歳まで亡くなるまで、
穏やかな日々を過ごしたと言われています。

 現在、弥(八)千代姫は、
ゆるキャラの筆頭である「ひこにゃん」の
相手の「やちにゃん」として大活躍しています。

 なお、松崎渋右衛門とは、高松藩の重鎮で彼が実質的な執政を
担っていたと言われています。
しかし、あまりにも強い勤皇思想の持ち主で、
後に暗殺されています。

 「君のため国のためには惜しからじ あだに散りなん命なりせば」

 これは、松崎渋右衛門の辞世の句です。

 松平頼聰公と弥(八)千代姫の間に生まれたのが、
12代ご当主の松平頼壽(よりなが)公です。
従って、頼壽(よりなが)公は、あの大老井伊直弼公のお孫さんにあたります。
 頼壽(よりなが)公は、伯爵となり、30年以上も貴族議員を務めました。
従来は公爵しかなれなかった貴族院議長にもなりました。
現在の玉藻公園内の披雲閣を、1917年(大正6年)に3年の月日と
15万円余(現在価格15億円)をかけて建築し、さらには、
現在の本郷学園をも設立しています。
 
 そして、時間が流れ、
井伊直弼のお孫さんである松平頼壽(よりなが)公と、
徳川慶喜の父である徳川斉昭公のお孫さんである昭子さんが、
ご結婚されます。まさに運命の出会いともいうべきものだと思います。
お二人がご結婚され、幸せに過ごされたことを伺うにつれ、
動乱の幕末・明治から、平和の時代になってきたことを痛感しています。
これも多くが先人の努力の賜物だと思っていますが、
これからの将来の平和な時代の維持については、
我々現代人に課せられている大きな責務だと思います。
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