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2011-11-04

(29)高松松平家 菩提寺 仏生山 法然寺 五重塔 完成

仏生山 法然寺 五重塔 落慶法要
平成23年(2011)11月3日(木)10:30〜

法然寺 五重塔
法然寺 境内案内図 

法然寺 五重塔
法然寺 涅槃門

法然寺 五重塔

法然寺 五重塔
法然寺 本堂門

法然寺 五重塔
法然寺 本堂

法然寺 五重塔
法然寺 五重塔

法然寺 五重塔
松平第14代武氏とご家族の焼香

法然寺 五重塔

法然寺五重塔 落慶法要記念 テレビ番組

     ― ありがとう重公のおくりもの ― 

   11月12日(土)14:20~14:50 RNC TV にて OA

※翌日は、RNC‐TV「ドリーマーズ」に高松松平家 第14代 松平武氏が、ご出演します。(11:45〜12:00)
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テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

2011-01-12

讃岐の島の歴史と物語

草創シリーズ Number3
讃岐の島の歴史と物語
History and Story of Sanuki's Island   

特別寄稿
咸臨丸と塩飽諸島

¥ 1,600

《平成22年12月 発行》

お問い合わせ:
草創の会 会長 村田勇 
〒769-0105
香川県高松市国分寺町柏原249-1

Tel (087)874-4446
Fax (087)874-2855


讃岐の島の歴史と物語

目次
はじめに 讃岐の伝承・昔ばなし
第1章 小豆島・・今も応神天皇と佐々木信胤が生きる島
第2章 直島・・・アートの島に歴史あり
第3章 その他の島の歴史と物語
豊島・女木島・男木島・沙弥島・瀬居島・櫃石島・本島・広島・志々島・佐柳島・粟島・伊吹島
第4章 讃岐に残る海の伝説
瀬戸内民族写真館
特別寄稿 咸臨丸と塩飽諸島
あとがき

cf.
草創シリーズ 1 『金毘羅参詣道』
草創シリーズ 2 『讃岐の古城跡と豪族たち』

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テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

2010-09-30

(28)仏生山来迎院法然寺(高松藩主松平家菩提寺)

法然寺(浄土宗)
五重塔 落慶法要 平成二十三年三月二十六日(土)の予定でしたが、東日本大震災の影響で、十一月三日(木)に変更

法然寺
法然寺(涅槃堂門) 
 四国に流された法然上人ゆかりの生福寺を、江戸時代前期の寛文8年(1668年)に徳川光圀の実兄にあたる高松藩初代藩主松平頼重が着工し、約3年の歳月を要し建立したと伝わる。寺院背後の仏生山丘陵上を削り「般若台」と呼ばれる高松松平家の墓所を設けて、当寺院を松平家の菩提寺としました。院号は来迎院。浄土宗に帰依した松平頼重は、6万5千坪(21万5千平方メートル)余りの広大な敷地に極楽浄土の世界を立体的につくり上げたともい云われ、特に涅槃堂の「さぬきの寝釈迦」は有名です。

 また、この寺は外堀を巡らせた造りで、いざと言う時には、玉藻上城の南とりでとしての機能も果たす為、広大な敷地を有します。

法然寺 法然寺

 現在、5年の歳月をかけ創建当時に出土したと伝わる舎利仏を納めるために、木造の五重塔を建築中です。

法然寺
三仏堂(涅槃堂)
法然寺
忠学上人堂

来迎堂
来迎堂内
(阿弥陀如来と二十五来迎菩薩像を安置)

来迎堂

寝釈迦
寝釈迦(嵯峨の立釈迦、讃岐の寝釈迦・・・)

法然寺
五重塔




(本山京都知恩院の法然上人生誕800年の法要が10月に決定。法然寺の五重の塔落慶法要がいよいよ11月3日に行われます。)
    


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テーマ : 香川
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tag : 徳川光圀 松平頼重 法然寺 五重塔

2010-05-02

(27)横浜能楽堂(宝生流)

横浜能楽堂
(横浜能楽堂HPより借用しました)

 この舞台は、宝生流の能舞台で明治8年(1875年)東京・根岸の旧加賀藩主前田斉泰(なりやす)邸に建てられ、後に東京・染井の松平頼寿(よりなが)邸に移築されて昭和40年まで広く利用されてきた旧染井能舞台を復原したもので、江戸時代初期から長く続いた加賀前田家と高松松平家の親交の歴史を綴るものです。

 関東地方現存最古の舞台で、全国的に見ても8番目に古く、建築史上、能楽史上貴重な文化遺産です。

 染井は、日本を代表するである『ソメイヨシノ』の発祥の地としても脚光を浴びています。

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テーマ : 香川
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tag : 染井能舞台 特別名勝 栗林公園 加賀前田藩 高松松平藩 宝生流

2010-01-02

(26)頼久寺(小堀遠州作庭園)

名勝 頼久寺庭園(岡山県高梁市)は、栗林公園の基礎を作った西島八兵衛の兄弟子である小堀遠州の作庭による『蓬莱式枯山水庭園』として知られています。
頼久寺

頼久寺
愛宕山を借景し、白砂敷の中央に、鶴島、後方に亀島の二つの低い築山状の島を置いて石を組み、書院左手の山畔に沿ってサツキの大刈り込みで青海波を表現した庭園です。
頼久寺

頼久寺
左に見えるのが青海波
頼久寺
直線と曲線を配した石畳

頼久寺

頼久寺

頼久寺

頼久寺

頼久寺

頼むこと 久しき寺の林泉に なびくいみじき 秋の霧かな
 与謝野晶子

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テーマ : 岡山県
ジャンル : 地域情報

2009-09-22

(25)二代 生駒一正

 弘治元年(1555年)美濃の土田(どた)で生駒親正の子として生まれる。父親正は織田信長のちに豊臣秀吉に仕えた。
 一正も父親正とともに信長次いで秀吉に属し、天正5年(1577年)に紀伊雑賀攻めに参陣した。

 その後も親正のもとにあり、親子で秀吉に臣従して山崎の戦、賤ヶ岳の戦、小牧・長久手の戦、小田原攻めに参陣し、天正19年(1591年)には従五位下讃岐守を授けられた。

 文禄元年(1592年)に始まった文禄の役では親正親子は朝鮮に渡海した。また、慶長の役では一正が蜂須賀家政・脇坂安治らとともに7番隊として2千7百の兵とともに海を渡り、蔚山城攻防戦に参加した。

 慶長5年(1600年)の会津上杉討伐には病気と称し在国した親正に変わり、1千7百あまりの兵を率いて参陣、この時息子正俊を伴ったと伝わっている。

 生駒一正はどもりであったと伝わる。

 関ヶ原の戦いで、西軍石田光成の家老で勇名高い島左近らが一文字に突っ込み、金森長近・田中吉政両軍が退きかけた。一正は、どもりながらも采配を振るい、大いに働いて猛将島左近を退却させたと『廃乱記』にある。後に、その戦功は高く評価された。

 一正は、軍功に代えても・・・・・と父である生駒親正の助命を嘆願した。徳川家康は承知し、讃岐一国を安堵させた。親正は、敗れて高野山に登り頭を丸めた。法号は弘憲。許されても山を下りず、ここで没した。
 
 父の親正は、秀吉の三中老の一人を務めた智将であった。子の一正の為、大事をとって下山しなかったと伝わる。                
                                           (讃岐歴史散歩より)

テーマ : 香川・愛媛・高知・徳島
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tag : 生駒一正 島左近 石田光成 徳川家康 生駒親正 三中老

2009-09-22

(24)初代 生駒親正

 生駒藩の初代は生駒親正である。雅楽頭(うたのかみ)と呼ばれた。
 
 大永6年(1526年)生駒親重の子として美濃の土田(どた)で生まれる。幼名甚介、のちに正成・近世・近規・近親・親正と名を改めた。永禄9年(1566年)頃より父親重と同じく信長に仕えたという。

 元亀元年(1570年)、信長は越前の朝倉義景を攻めた際に、同盟していた浅井長政が突然離反し、越前金ヶ崎城で進退に窮した。この時に殿軍を引き受けた秀吉に、信長は勇士5人を付与した。その中に生駒親正の名も見える。

 これ以降、親正は秀吉とともに行動し、天正3年(1575年)の長篠の戦、天正4年(1576年)の本願寺攻撃、天正5年(1577年)の紀伊雑賀攻めに加わり軍功を挙げ、同年よりの中国征伐にも従った。

 本能寺の変以後も、山崎合戦、賤ヶ岳の戦、小牧・長久手の戦、小田原攻めにも参陣した。この間、天正13年(1585年)に近江高島郡に二万三千五百石を与えられ、翌天正十四年、伊勢の神戸四万石から播州赤穂六万石に移封された。翌十五年に讃岐一国を賜り、いったん引田城に入った。ここでは便利が悪いので、宇多津の聖通寺城に引っ越した。先任の仙石権兵衛が居城とした山城である。ここも山の上であるうえ、讃岐の中央より西に偏していた。そこで天正十六年、香川郡箆原郷(野原庄)に新城を築き、ここに移った。

 これが、高松城。しかし、西讃岐のことが気にかかるので、亀山に支城を築いた。丸亀城である。高松・丸亀両市にとって開創の先覚者である。

 豊臣政権のおり、五大老五奉行の調整役として三中老の筆頭を務めた。

 関ヶ原の役に、生駒親正は西軍の石田光成に味方した。子の左近一正は数十騎(1830名)を従えて東軍の徳川家康に従った。父子が、東西に分かれたのは、真田昌幸・信幸とこの生駒家の両家である。父はともに智謀の人であった。

親正は、慶長8年(1603年)に高松城にて亡くなりました。69歳でした。息子の一正は父の菩提を弔うため、高松城下浜ノ丁に弘憲寺を建立、境内に葬りました。今も弘憲寺には生駒親正夫妻墓所が残ります。

                                         (讃岐歴史散歩より)

三中老
生駒親正(讃岐高松18万石)
堀尾吉晴(遠江浜松12万石)
中村一氏(駿河府中14万石)

五大老
徳川家康(関東256万石)
前田利家(北陸地方・加賀83万石)
毛利輝元(中国地方・吉備西半・安芸120万石)
宇喜多秀家(中国地方・吉備東半57万石)
上杉景勝(会津120万石)

五奉行
主に司法担当 – 浅野長政(筆頭・甲斐甲府22万石)
主に行政担当 – 石田三成(近江佐和山19万石)
主に土木担当 – 増田長盛(大和郡山22万石)
主に財政担当 – 長束正家(近江水口5万石)
主に宗教担当 – 前田玄以(丹波亀岡5万石)

テーマ : 香川・愛媛・高知・徳島
ジャンル : 地域情報

tag : 生駒親正 三中老 五大老 五奉行 高松城 丸亀城 弘憲寺 上杉景勝

2009-03-28

(23)栗林公園ーミシュラン三つ星で生菓子

ミシュラン選定記念に生菓子

ギード・ベール日本編で三つ星に選ばれた記念として提供が始まった生菓子=香川県高松市栗林町、栗林公園掬月亭
 「三つ星」入り生菓子でおもてなし―。栗林公園(香川県高松市栗林町)は27日から、園内の大茶室「掬月亭」で、星が三つ型押しされた生菓子の提供を始めた。フランスのガイドブック、ミシュランの観光版(ギード・ベール)日本編で最高評価の三つ星に選ばれた記念。抹茶とのセット(710円)で、1日限定100食を用意している。4月5日まで。

ミシュラン三つ星記念 生菓子 ミシュラン三ッ星選定記念の生菓


 ギード・ベール日本編はフランス語版が16日、発売。三つ星の基準は「わざわざ訪れる価値のある場所」で、国内では法隆寺や姫路城、安芸の宮島など56カ所、県内では栗林公園が唯一選ばれた。

 記念の生菓子は、桜の花びらをかたどったもので、型押しされた「三つ星」に金箔(きんぱく)をあしらっている。来場者は、目の前にある根上がり五葉松や、池の向こうに見える桜と偃月橋など掬月亭からの絶景を楽しみながら、記念の味に舌鼓を打っていた。

 生菓子の提供は、午前9時から午後4時まで。問い合わせは県観光協会〈087(833)7411〉。

                                           (四国新聞より)

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tag : 栗林公園 ミシュラン ギード・ベール 掬月亭 宮島 フランス 三つ星

2009-03-28

(22)大名庭園 栗林荘がミシュランげ三ッ星に・・・

特別名勝 栗林公園が、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン2009 で最高の三つ星に認定 !

高松松平藩の大名庭園がフランスに評価される。いよいよ世界的に・・・

【パリ14日共同】訪れるべき観光地を星印で格付けするフランスのガイドブック、ミシュランの観光版(ギード・ベール)日本編が16日、発売される。ホテル・レストランのガイドは2007年から東京版が登場、観光地に関しても同年に簡易版が発売されていたが、ギード・ベールの発行は今回が初めて。香川県内の栗林公園や京都、奈良などが最高評価の三つ星に選定された。

 三つ星の基準は「わざわざ訪れる価値のある場所」。日光、法隆寺、姫路城、安芸の宮島など、既に外国人観光客にも人気のスポットに加え、沖縄・石垣島の川平湾などの名勝地も選ばれた。東京郊外のハイキングコースとして親しまれている高尾山も選定された。

 編集長によると、三つ星には全部で56カ所、二つ星189カ所、一つ星301カ所が選ばれた。このほかに星なしで言及された名勝地も多数ある。

ミシュラン・グリーン・ジャポン2009
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン2009に選ばれた主な三ッ星観光地

 栗林公園以外に、香川県内では二つ星に家プロジェクト、琴平、一つ星に直島、ベネッセハウス、地中美術館、四国村が入っている。

 執筆に当たったのは、フランス人と日本人計12人の混成チーム。数カ月かけて日本全国をくまなく歩き回ったほか、日本政府観光局からも情報提供を受けた。

 昨年、日本を訪れたフランス人観光客は14万7600人で07年から7%増加。日本製ゲームなどの普及や、すしを中心とする和食ブームもあり、日本への関心は年々高まっている。

 ギード・ベールは9カ国語で325種類、150万部が発行される欧州では特に有名なガイドブック。今回発売の日本編はフランス語版だが、今年9月には英語版も刊行される。日本語版の発行は未定という。
                             (四国新聞 記事より)


栗林公園 仙磯

特別名勝 栗林公園 仙磯の石

南湖の中央に『仙磯』という石組みを築く作庭技法は、共に藤堂高虎の娘婿であった西島八兵衛が『栗林公園』に、小堀遠州が『仙洞御所』に演出した日本で二箇所しか残されていない風景です。これは、自分が残した最高の庭に仙人ですら呼び込もうとした作庭者の心意気を表現しています。

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tag : 特別名勝 栗林公園 ミシュラン ギード・ベール 大名庭園 三つ星

2008-01-03

(21)高松松平家の屋敷

①江戸の大名屋敷
イ、上屋敷・・・東京都千代田区飯田町2、3丁目(江戸城小石川御門内)

ロ、中屋敷・・・同上

ハ、下屋敷・・・東京都港区白金台(国立自然教育園)

②国許の下屋敷
  『栗林荘』(別名、オンクリバヤシ、オハヤシ、クリノオハヤシ) =現在の栗林公園=

③その他屋敷
イ、お花畑(お下屋敷)・・・現在の高松市花園町から多賀町1丁目及び観光通2丁目付近
  承応2年(1653) 5月5日、頼重公はこの別荘に藩の老臣らを招いて開宴。
  間もなく、廃荘し、家老の彦坂織部玄隆に授与。→ 「静観荘」と改名。

ロ、音川(おんがわ)の別荘・・・塩江町安原下音川、最明寺の100m北方丘上
   夏期の避暑用、川魚とり、寛永、承応、寛文の頃利用。

ハ、岩部(いわぶ)の別荘・・・塩江町岩部橋の東側
   夏期の避暑用、       寛文、延宝、天和、貞享、元禄の頃利用。

二、庵治の別荘・・・高松市庵治町御殿山
                    寛文、延宝、天和、元禄の頃利用。晩年、利用多し。

ホ、伏石の別荘・・・高松市伏石町
   貞享4年(1687)建設、但し正徳2年(1712)勅使に移築し「勅使別館」(現在の鶴市町御殿)。
   三代頼豊は、栗林荘か勅使別館に常駐。

へ、中の島上屋敷・・・大坂 中の島
   参勤の途中、休憩、宿泊。

ト、嵯峨屋敷・・・京都嵯峨
   頼重幼年の頃、過ごした嵯峨の旧地を求めた。
   屋形はなく、周囲に垣のあるある竹藪。

チ、狩猟の小屋
   引田の官府山
   鴨部の官府山

リ、和泉屋敷・・・木田郡春日村(現、高松市春日町)
   鷹狩りの際、休憩時に利用。

ヌ、船遊びの小屋・・・小さいが立派なものであった。
   甲島(庵治沖)
   乃生岬(坂出市王越町乃生)







= 造園史 特別名勝 栗林公園より =


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2006-11-04

(20)左近さん 松平頼該(よりかね) 宮脇公

領民に親しまれた八代藩主の長男
 高松ではご年配の方の中に、頑固者・ヘンクツ者のことを「あれは、左近さんだ」という例えがあります。

 これは八代藩主松平頼儀のの長男として、文化六年(1809)江戸小石川の藩邸で生まれながら生涯日陰の身で過ごした『松平頼該』(左近)のことです。

 松平左近は生まれつき聡明であったと云われるが、後に父頼儀の愛妾お時の方に萬五郎(十代藩主 頼胤)が生まれると、うとまれて八才の時、国元の高松に帰されました。

 のち三十一才の時、高松城下宮脇村の亀阜荘(かめおか)(現在の亀阜小学校)へ移され、2500石の隠居生活を送っていました。左近宮脇公と呼ばれたのは宮脇村に住んでいたからです。

 この頃から左近は諸国の勤皇志士と交わり、亀阜荘には遍路姿に身を変えた志士の出入りが頻繁だったと云われています。
亀阜小学校
現在の亀阜小学校(元亀阜荘)
《香川県で最初の小学校がこちらです。》

※亀阜(かめおか)は、亀命山(石清尾山の旧名)の曲阜(きょくふ)の意
曲阜は中国の孔子の故郷。
儒学を学んだ左近さんらしい名前の付け方だ。

 この左近さんが最も活躍するのが、慶応四年(1868)正月、高松藩が鳥羽伏見の戦いで官軍と戦い敗れた時、朝敵となった高松藩のため官軍方を奔走して高松城下を戦火から救ったことです。
余は、領民から『左近さん』と呼ばれ親しまれました。


 領民に親しまれた左近さんは、明治元年八月六日に六十一才で逝去、遺言により高松市西山崎町の本堯寺に葬られました。



松平左近金岳

本尭寺(高松市西山崎町)堂山本尭寺(高松市西山崎町)堂山



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tag : 松平頼該 左近 亀阜小学校 宮脇公 鳥羽伏見の戦い 亀阜荘 勤皇志士

2006-10-20

(19)十一代藩主 松平頼聰(よりとし) 懿公(いこう)

一、生い立ち

 頼聰は九代頼恕の子として江戸藩邸で生まれた。二十才で十代頼胤の養嗣子となり、二十六才で井伊直弼の娘・千代姫と婚儀、二十八才で第十一代藩主となった。

 頼聰は最後の高松藩主として、幕末から明治維新の動乱期の藩政にたずさわり苦労をしたが、東京移住後は離縁していた正室と復縁し、華族(伯爵)に列して平穏な生活を営んだ、後明治三十六年七十才で逝去。


十一代、松平頼聡 生没年:1834-1903
父:讃岐高松藩九代藩主 松平頼恕
義父:讃岐高松藩十代藩主 松平頼胤
幼名:万之助
1861- 讃岐高松藩十一代藩主
従四位上権少将
妻:井伊千代子(父:大老 井伊直弼)
徳川義礼(尾張徳川家へ)
頼壽

娘(伯爵 徳川篤敬室)
(養子)頼温(父:讃岐高松藩九代藩主 松平頼恕)

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tag : 頼聰

2006-10-20

(18)十代藩主 松平頼胤(よりたね) 靖公(せいこう)

一、生い立ち

 八代藩主頼儀の第四子として江戸屋敷で生まれ、九才で九代藩主頼恕の世継となり、十七才で将軍徳川家斉の息女・文姫と婚儀、三十三才で十代藩主となる。頼胤の治世は二十年間であったが、徳川幕府の勢力が衰え、勤皇攘夷論が国内で騒がしくなってきたころであった。

 二、藩政

 『願わくば襄公(八代)の政治にならい、愨公(九代)の遺志を奉じ以って藩政に従わん、望むらくは汝ら腹心を吐露し、直言正義を以って述べること、国元と江戸との間はよく協議してほしい』と家臣に藩政への意欲を示した。

 幕府との関係は深まり、大老井伊家と姻戚を結び信頼厚く、天保の改革にも影響をあたえた。

栗林荘に鴨場を造ったのは、このお殿様です。



十代、松平頼胤 生没年:1810-1877
父:讃岐高松藩八代藩主 松平頼儀
義父:讃岐高松藩九代藩主 松平頼恕
幼名:雄丸、都太郎、貞五郎
1842-1861 讃岐高松藩十代藩主
1857 正四位上権中将
正室:霊鏡院 文姫 徳川結子(父:征夷大将軍 徳川家斉)
頼温
竹雄丸
娘(大原重実室)
娘(松平頼策室)
頼熙(父:讃岐高松藩九代藩主 松平頼恕)
頼和(西条松平家へ)
1834-1903 (養子)頼聡

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tag : 天保の改革 頼胤

2006-10-19

(17)九代藩主 松平頼恕(よりひろ) 愨公(かくこう)

一、生い立ち

 頼恕は、節約の殿様といわれる。水戸徳川家九代治紀の次男として水戸藩邸で生まれ、十八才で頼儀の養嗣子となり、二十四才で高松藩九代目の殿様となる。

 頼儀の善政が災いし、藩は五十万両の借入金を持って破綻寸前になっていた。

二、頼恕の財政改革

 藩士の禄高の二割カット、絹織物の購入禁止などの節約令を出したり、藩が米の売買を行いその収益で四十万両を儲けるなどなりふり構わぬ方法を行った。その中、重臣大久保飛騨をめぐるトラブルが相次ぎ、頼恕は大久保を引退させ、木村亘に財政担当の国家老を命じた。

 久米栄左衛門の坂出塩田開発は財政窮迫の中、多くの反対意見にもかかわらず、頼恕に直言して着工させた。また向山周慶が、成功した砂糖の生産を産業として育てたのは久米栄左衛門と木村黙老(亘)です。

 頼恕が京都御所へ参内する際の供ぞろえの中で、先頭に立つ槍飾りの見事さをたたえた京都の人たちが『高松様に過ぎたるもの二つあり、一つは抛鞘(なげさや)、もう一つは木村亘』と囃したてていた。

 頼恕は学問好きで、藩主の座に就いてから仁政を貫こうと努力したといわれる。財政難ではこと志と相反する場合が多かったが、じっと我慢の殿様であった。

三、芸術文化
 
 玉楮象谷が二十五才のとき、頼恕から菓子盆と存清を模した四重六角の食籠のせいさくを命じられる。
 仁阿弥道八が東讃にきて初窯の作品を献上。
 中山城山が「全讃史」12巻を完成。
 金比羅大芝居が完成。など



余も英傑・中興の祖とよばれる。


九代、松平頼恕 生没年:1798-1842
父:常陸水戸藩七代藩主 徳川治紀
義父:讃岐高松藩八代藩主 松平頼儀
幼名:熊太郎
紀経
1821-1842 讃岐高松藩九代藩主
1837 正四位下権中将
正室:(父:讃岐高松藩八代藩主 松平頼儀)
頼熙(義父:讃岐高松藩十代藩主 松平頼胤)
側室:正林院 八重野(浅田氏)
1832-1912 松平勝成(伊予松山藩へ)
1834-1903 頼聡
大久保忠礼
娘(出羽米沢藩十二代藩主 上杉斉憲室)
娘(亀井茲監室)
娘(信濃松代藩九代藩主 真田幸教室)
1810-1877 (養子)頼胤
(養子)娘(父:松平頼該)
側室:野萱
1827-1842 武揚(石見浜田藩へ)

参照:頼恕の兄は、水戸家八代藩主斉修(なりのぶ)、弟は、水戸家九代藩主斉昭(なりあき)

テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

tag : 頼恕 木村亘 久米栄左衛門 向山周慶 玉楮象谷 中山城山 金比羅大芝居

2006-10-19

(16)八代藩主 松平頼儀(よりのり)襄公

一、生い立ち

 六代藩主松平頼真の子として高松で生まれ、十一才で七代藩主頼起の世子となる。
 十八才で藩主となり、二十九年間に十六回の干ばつを経験し、特に就封ご七年間は連続して干ばつがあり、その上江戸屋敷まで炎上するという災害に取り付かれたような殿様でした。

二、藩政

 頼儀は生来学問好きのうえ律儀な性格で、在職中は善政を施し、塩と砂糖という地場産業の振興に心血を注いだ。いわゆる讃岐の基幹産業の『讃岐二白』の基礎固めをした功績は大きい。これで藩の台所が潤うわけであるから、藩主も農民の年貢だけに収入を頼るところから、新しい収入の道を探り出していった。

 藩主となった年に住んでいた小石川の中屋敷と上屋敷が炎上その飛脚が西下しているとき、高松からは頼起重体そしてご逝去の訃報がある。また、二十一才の時、加賀前田家の養女藤姫と婚儀を挙げるが、二年後に他界される。まさに不幸の連続であった。

 そんななか頼儀は、在職中は領民をいたわるというやさしい理想的な封建時代の殿様とは思えない温情ぶりでした。

 学問好きの頼儀は、城内西の丸に学問所を創設、岡井赤城・後藤弥右衛門(芝山の長子)を教授に迎えた。当時江戸では、寛政の三博士と謳われた讃岐出身の柴野栗山が活躍していた。讃岐の良寛といわれた志度寺の竹林上人がなくなったのもこの頃です。

 頼儀は学問好きだったせいか、周辺にも知的な人々がよく集まっていた。後年、藩政に名家老として敏腕をふるった木村亘(黙老)が近習として仕え、民間にも塩の生産に心血を注いだ久米栄左衛門(通賢)、砂糖の生産に苦労をした向山周慶らです。これら有能な人材を躊躇することなく、重要な役に起用したとかろに頼儀の見識の高さがありました。

 久米栄左衛門は、幕府の測量方の伊能忠敬が讃岐入りするより前に新しい三角測量法で讃岐の地図を作っておりその精巧さに伊能忠敬も驚いたといいます。また、師の間重富から当時の日本の政情を聞き、兵法に関心を持ち古来の水軍の戦法を近代化した「戦船作積覚」を著し、火縄銃を雷管式の近代銃に改良したり科学者の面目を遺憾なく発揮しました。そして、砂糖為替制度の導入や坂出の塩田開発も久米栄左衛門の仕事です。

 向山周慶は、白糖の生産に血のにじむような努力を傾け、ついに精糖に成功、大坂の市場で『讃岐和三盆糖』の名声をゆるぎないものにしていった。

東浜の埋め立てとそこに問屋街をつくり、京・大坂との物産交流の拠点としたのもこの頃です。さらに流通・生産業者には藩から低利で資金の貸付を行ったため、城下には活気が戻り、人々の表情も明るくなった。

 しかし、水戸家から藩主が来ていないことで幕府に忠誠を示すため、十四万両も投じた屋島東照宮の造営、仁孝天皇即位の大礼に幕命により参賀、孫の頼胤(十代藩主)と将軍家の文姫の婚約など多額の出費がかさんだ。

 華やかな生涯を終えた藩主であった。(五十五才)


讃岐名物『あんもち雑煮』のお話 
 讃岐の富の象徴【讃岐三白】の白砂糖は、最盛期には全国の8割を占めていました。ところが砂糖は、藩の重要な財源であったため地元庶民の口には、入らないのが現状でした。

 頼儀公はそんな庶民(御用商人?)に「ご禁制にしているの砂糖だけれどお正月くらいは砂糖を味わってほしいが、日頃は食することを禁じている為“あんもち”にして配り、白味噌仕立ての雑煮に隠して食べなさい。」とくだされました。

 讃岐名物のあんもち雑煮は、領民を愛し、領民に愛されたお殿様からのプレゼントが発祥だったのです。

 殿様がご商売なされるご時世だ。これからは町人が馬に乗り槍をもつ時代が来る!と風刺するものが出たそうです。


八代、松平頼儀 生没年:1775-1829
父:讃岐高松藩六代藩主 松平頼真
義父:讃岐高松藩七代藩主 松平頼起
幼名:雄丸
1792-1821 讃岐高松藩八代藩主
1817 従四位上権中将
正室:藤(父:加賀金沢藩十代藩主 前田重教、義父:加賀金沢藩十一代藩主 前田治脩)
正室:(父:備前岡山藩五代藩主 池田治政)
側室:藤木氏
1809-1868 頼該 (左近)
1810-1877 頼胤
頼顕
忠民
娘(井伊直亮室)
娘(讃岐高松藩九代藩主 松平頼恕室)
娘(板倉勝明室)

1798-1842 (養子)頼恕
松平頼該 生没年:1809-1868
父:讃岐高松藩八代藩主 松平頼儀
松平左近 妻:
娘(義父:讃岐高松藩九代藩主 松平頼恕)

テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

tag : 頼儀 柴野栗山 木村亘 久米栄左衛門 向山周慶 伊能忠敬 三角測量法

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